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こんにちわ♪

こんにちわ♪

アニマルポリス

まず、動物裁判から読まれるといいと思います。



皆さんは、アニマルポリスというのをご存知でしょうか?








これは動物愛護者の方々が、日本でもしきりに設立しようと考えているものなのですが。







アニマルポリス

別にこういうのをいっているわけではありません(笑)










ここは、大英帝国、動物愛護超先進国のお国♪











大英帝国では、ペットをペットと呼ばずに「コンパニオンアニマル」と呼び、家族であるとともに、社会の一員として欠かせない存在として認識されている。








そのためか、盲導犬に限らず、どんな犬も、街のパブにも入れるし、公共の乗り物にも乗れるのだ。





イヌにとってはありがた迷惑かもしれない、人間からの一方的な愛情の注ぎっぷりだ♪






そして飼い主は、ペットの訓練を求められる一方、飼い主がペットに苦痛を与えることは、すべて「虐待」と見なされるという、なんか言っていることが矛盾しているようなことを強制させられるのである♪







アニマルポリスというのは、そんな『虐待』とみなされたことをしている飼い主を逮捕しちゃうポリスなのである♪






そして、それは近所の人からの通報による。








通報の内容には。






「●●で、犬(猫)が捨てられている」

通報する前に、助けろよ!




「近所の犬の吠える声がいつもと違う」

ちょっとほえる声が違うと通報されてしまいます。発情期で色気だってるわんこ、にゃんこの飼い主さんは要注意だ!




「近所の猫が太りすぎている」

ドクターありりんさん、ご注意を!(笑)





「飼い主が犬の健康管理を怠っているようだ」

自分らの健康管理もろくにできないくせに、何をえらそうに。
大きなお世話なのだ。




などなど・・・。






まぁ、一般常識がない人たちが通報してきているとも思えないような内容を平気で通報するのが、英国の常識♪




日本の常識は世界の非常識とはよく言うが。




大英帝国の常識はもっと世界の非常識である。













さて。
このアニマルポリスは大英帝国ではとても人気のある職業だそうな。











そして。
アニマルポリスの歴史は古い。






180年前、馬やロバが交通機関の1つになっていて、酷使されていた。




その悲惨な状況を改善すべく、1882年、「家畜の虐待を取り締まる法律」ができた。




しかし、虐待を取り締まる機関はなかったため、それを行うために設置されたのが始まりとされている。






そんな古い歴史を持ち合わせているアニマルポリスにもかかわらず。






つい最近まで、スポーツと称して『狐狩り』をいっていたのは、何を隠そう大英帝国なのである♪




きつね狩り。



英国のスポーツハンティングの代表例である。





一匹のきつねを大勢のハンターと犬が追いかける。 




きつねが巧みに犬の追跡をくらます。




しかしながら、最後にきつねが捕まってしまう・・・。





最後は捕まった狐はどうなるか?






日本の釣り師は、ゲームフィッシュを釣りと称して、獲物を釣ったあとはちゃんとリリースすると言う、紳士的なマナーを持ち合わせているのだが。







・・・と言う事で、俺はこのきつね狩りの正体を知る前(だいぶ前ですよ)、スポーツと言っているくらいだから、当然逃がすのだと思っていた。









ところがどっこい、無数にいる猟犬の中にきつねを投げ入れるのだ。







きつねは口から真っ二つ、鮮血が飛び散る。






きっと動物愛護者の方が見たら、卒倒するような光景なのだ。









狐は捕まっておびえ、観念しているのだ。





命を取る理由などまったく無いのではないのか?





多数の犬を従え。





馬に乗り。





赤い服に身を包みさっそうと。





180年前から動物愛護に目覚めた、大英帝国は・・・・。







無益な殺生を。





動物愛護を語る一方で、つい最近まで繰り広げていたのである。





もう、めちゃくちゃな国である。









きつねにも情けを。





猟を楽しませてくれたお礼に逃がしてあげれば?





と考えるのは、日本人だからなのだろうか?





情け無用の行為。




日本も猟をするが、大英帝国の『きつね狩り』のような生き物をもてあそんで殺すような猟は一切存在していない。





そもそも、狩猟というのは生きていくための糧を得るための行為であって『スポーツ』なんかでは決してないのだ。







卑怯にもきつね狩りのようにあれほど大勢の人間と犬がよってたかってなぶり殺しではない。







しかも捕獲した獲物は英国人の様に粗末な扱いはしない。






180年の歴史を持つアニマルポリスの存在するこの国では、一方で動物虐待とも言える行為をスポーツと称して、本当につい最近まで行っていたのだ。





動物に対する保護活動と、この情け無用の行為・・・・。










どうよ?








牛、豚、鶏などの家畜をはじめ、食用のため、またはほかの用途のために無抵抗の動物を強引に命を奪う。





これは残酷な事だ。





日本の隣国韓国にはイヌ食文化がある。




そして、日本には鯨食文化がある。






犬を食べることも、鯨を食べる事も含め生きていくために自然のルールに従っているはずなのだ。






俺は動物愛護を唱えるなら、この影の部分から目をそらす事は良くないと思う。







しかしながら、動物愛護を唱える方の大半は、この影の部分から目をそらすどころか、そんなことは頭にも描いていないかのごとく、必死で唱えているのだ。







もちろん不必要な苦痛を動物に与える事は人間として恥ずべき行為である。











影の部分を正しく伝えなければ片寄った考えで文化を誤解し、人間と言う動物を差別しかねない。









人間を含め、全ての生命は生きるため命を奪っているからこそ、今手元にいる幸せになる権利を得た動物に対し、愛情を注ぐ必要があると思う。








如何なる人間も動物に対しては善人ではあることは決してないのだ。









英国アニマルポリスの様な活動はひょっとしたら日本にも必要かもしれない。







しかし日本人は元来動物に対し、情け容赦なく虐待する民族ではないと思う。







ただ日本人の犬に対するイメージが悪いのかもしれない。






しかるに不幸な犬も存在したかも知れないし今も存在するのかもしれない。







しかし日本には、『忠犬ハチ公』や『なんきょくものがたり』などのおおくのイヌにまつわる物語があるように、人間とイヌとの関係を少なくともちゃんと大事にしてきたのだからこそ、幸せな犬たちも存在したと思うし、今も存在していると思うのだ。


イヌの話だけではなく、こうした動物にかかわる昔話なんてのはざらにある。








英国アニマルポリスの活動を無条件に絶賛し、真似しようとするのではなく、命を捧げてくれる動物たちの事を知り、日本人が本来持っている動物に対する優しさを大事にする事、それが最も大事な事だと思う。






さらに付け加えていうならば、動物虐待と動物実験の区別もできないような人間たちが、アニマルポリス設立なんてのはおこがましい。








アニマルポリスなんてものを本気で創るなんて考える前に、自分たち一人一人が動物に対する優しさ、大切さ、そしてどんな人間でも他生物を犠牲にして生きているというという罪悪を考えるべきではないかと思う。













ちょっと最後は、きれいにまとめてみたが、結論。








日本にアニマルポリスなど、必要はない






アニマルポリスは、腹ぐろ紳士が考え出しためちゃくちゃな矛盾に過ぎないのだ。









動物をむやみに虐待するような人間は、アニマルポリスではなく、普通の警察につかまればよい。













もしアニマルポリスが日本にできたら。








日本の飼い主・獣医師は全員逮捕だ。




つづく


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